私、ピンピンコロリできたらいいなと思っていますが、あの葛飾北斎さんはなんと、平均寿命が50歳以下の時代に、75才になってから110才までのマニフェストを作っていたとは驚きです。以下はその記事です。
老後の天才・北斎が70歳過ぎから始めたこと
7/31(火) 16:00配信 現代ビジネス
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180731-00056762-gendaibiz-bus_all
以http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56762
下記事一部抜粋しました。
たとえば北斎は翌1834年に出版した『富嶽百景』の跋文に、己のこれからのマニフェストを次のように記している。
「73歳にして禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟り、86歳にして(その腕は)ますます進み、90歳にして奥意を極め、101歳にして神妙ならん。110歳にして、一点一格が生きるがごとくならん」
当時の平均寿命は50歳以下。その時代に北斎は75歳で110歳までのマニフェストを公に掲げ、110歳まで生きれば「生きるが如く描く」と己の成長を疑わなかった。
「70歳までの絵は取るに足らない」と、これからさらに上達していくことを宣言している。実際、60代に描いた鍾馗図よりも80代で描いた鍾馗図のほうが細部に迫力があり、表情も勝っているといわれる。
おわり